Interview「アンドラ・モンターニュ」
オーナーシェフ 塩田光治さん

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「高校は東京に行きたい」と言っていた息子も新潟大好きに

移転を決めた時は、カミさんは専業主婦だったんです。当時で言うカウチポテトの生活(笑)。いまはここは人を雇わずに全部2人でやってます。最初は子供達に「父ちゃんが勝手に移住するのに、なんでお母さん働かせるんだ。かわいそうじゃないか」と大ブーイングでした(笑)。ただ、彼女は僕の体がボロボロなのも見ていて、ここにあった民宿も一緒に何回も来ていたしで、賛成してくれました。お酒が飲めなくてワインなんてまったく知らない、抜栓もできなかったのを、前の店のスタッフが開店から4ヶ月くらい来てくれて講習してもらったり。

子供は3人いるうち一番小さい息子が中学生でした。上の子は大学生と高校生だったので東京に残って、中学生の子だけ転校して一緒に移住してきました。最初は「高校になったら東京に行っていい?」と言われていたんですが、中学で友達もできてすっかり新潟大好きになって、高校はこっちで通っていましたね。

ただ、ここから東京に行くのはすごく近いんですよね。越後湯沢まですぐだし、そこからは新幹線があるから。カミさんも、息子が高校生だったころは保護者会とかちょくちょく行ったり、孫が産まれたと聞いたらすぐ行って。美容院も東京に行っていたくらいです。
それでも車は無いと生きていけないですよね。東京にいたころはカミさんは免許をもってなかったから、引越前の1ヶ月で毎日教習所に通って取ってもらいました。いまは二人で遠くまで外食に行っても、僕はすぐお酒飲んじゃう。最初のころは帰り道も「助手席で起きてて」と言われたんですが、今はもう慣れたもので「寝てていいよ」と言われますよ。

渋谷のころは家族で外食できる時間なんて年に数回しかなかったですが、いまはそんなこともないですし、それまでまったく行けなかったワインの試飲会とか何かの集まりとかにお呼ばれしても参加できます。海外もほとんど行けなかったのが、年に1回くらい行けるようになりました。

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生活情報は近所の人に聞き、観光情報はお客さんに逆リサーチ。

カミさんも僕も東京出身ですけど、引っ越してくることに生活の不安とかはなかったですね。「なんとかなるだろう」と「なんとかする」という両方の気持ちを持ってましたから。

最悪の場合、ここをやめて僕が働きに出ればいいじゃないですか。もちろん、これで生きていけるのがいちばんいいんですけど、「もしだめだったら僕がどこかに行って稼いでくるので心配しないでね」と言って。子供達もほとんど手が離れたから、僕とカミさんだけならなんとかなると。その辺の草を摘んできて天ぷらにして食べればお金もかからないじゃないですか(笑)。

僕は高校・大学と登山をやっていたから、冬山が大好きなんですよ。ロッククライミングも大好き。だから雪に対する不安も無かったですね。どっちかというと今でも雪は大好きです。雪かきは腰が痛くなったり方が痛くなったりするのも重々承知なんですけど。
僕は極めて楽天家なんですね。例えば今日からハワイに行こうと言ったとしてもなんとかなると思うし、アラスカでもベトナムで中国でも「行ってください」と言われればなんとかなると思う。

カミさんも楽天家だし、一緒に何年もここに遊びに来ていたんで、土地に対しての不安は無かったようですよ。ただ、引っ越す前に何も下調べをしていなかったから、来てみてから「病院どこ?」「ポストどこにあるの?」とか、ご近所さんにいろいろ聞いて、酒屋さんに行って「ガラスを直したいんだけどガラス屋さんどこですか」とか「合い鍵ってどこで作ればいいですか」とかいろいろ教えてもらったんです。

温泉も周りにどんなところがあるか知らなかったから、地元とか新潟から食事に来てくれたお客さんに「温泉、どこかいいところありますか」とか聞いて、休みの日に二人で回ってみたり。「お客さんから聞かれた時に実際に入ってないと説明できないから」って理由を付けて(笑)、新潟県内のいろいろな温泉に行きましたよ。

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Live from Minami-uonumaLMU編集部
東京から南魚沼市に移住したスタッフ3人で作っています。
東京時代は仕事ばかりで、昼も夜もわからぬ毎日を過ごしていましたが、南魚沼市に引っ越して生活が一変。
直売所で買った野菜で料理をし、温泉に通 い、休日は山に登ったり、スキーをしたり。
豊かな場所で暮らすだけで、心も生活も豊かになって、良い仕事ができるようになる……ような気がする今日この頃です
(移住12年めの素直な感想で す)。

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