国際大学教授 信田智人さん
学生センター事務室長 信田グレチェンさん

学生として5年間、浦佐に住んだのが南魚沼に来たきっかけです

智人さん 私が国際大学に来たのは1984年のことで、その時に勤めていた東京の会社からの派遣生でした。その当時、国際大学というのは創立して間もなかったのですが、学生はほとんどが企業派遣生でした。

グレチェンさん 私は、彼が就職する前に出会って、85年に結婚して南魚沼に来ました。彼が大学生だったころにオレゴンに留学していて、私も同じ学校にいました。
智人さん 国際大学は大学院大学ですから、普通は2年で卒業していなくなりますが、私は大学の方から研究員として残らないかと乞われ、3年間残ることになりました。

そうやって5年間ここに暮らすと、もう東京に帰りたくなくなったんですよね。東京では世田谷の経堂に住んでいたのですが、通勤は毎日、満員電車でゆられないといけない。梅雨時のうっとうしいジメジメした電車とか、冬の着ぶくれでぎゅうぎゅう詰めになった電車とか、そんな環境で一生を送るというのが、もう考えられないなと思って。

どうしようと思っていたところに、国際大学の創立者の中山素平さんが「君がしたいことをやりなさい。会社の方は私が何とかするから」とおっしゃってくださいました。そこでジョンズ・ホプキンス大学の博士課程に進学し、ワシントンに5年いました。ちょうど、NHKのニュースキャスターだった木村太郎さんが独立してワシントン事務所を作ったから手伝ってくれと言われて、学生をやりながらジャーナリストとしても働くということをやっていましたね。

グレチェンさん 私も日本に来てから国際大学の学生になって卒業し、彼が学者になるためアメリカに行く時に、また私もアメリカに戻って、仕事をしながらワシントンで生活をしていました。

智人さん 博士号を取った時に、国際大学から「研究員として戻ってこないか」と言われて、その時にあった日米関係研究所に戻りました。学生のころから通算すると約30年間住んでいることになりますね。

だから南魚沼を選んだというよりも、国際大学があるから南魚沼に住んでいるという感じです。

グレチェンさん でも、この土地を離れたくないということは強く思いました。だからここに住んでいるのです。

智人さん そうですね。それは確かに。


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Live from Minami-uonumaLMU編集部
東京から南魚沼市に移住したスタッフ3人で作っています。
東京時代は仕事ばかりで、昼も夜もわからぬ毎日を過ごしていましたが、南魚沼市に引っ越して生活が一変。
直売所で買った野菜で料理をし、温泉に通 い、休日は山に登ったり、スキーをしたり。
豊かな場所で暮らすだけで、心も生活も豊かになって、良い仕事ができるようになる……ような気がする今日この頃です
(移住12年めの素直な感想で す)。

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